「誰でも簡単に使えて、しかも導入コストが安い。うちはタイムカードだけで十分」。
このように考えている中小・零細企業が多いですが、実はそのタイムカードが労務管理上の大きな落とし穴になる可能性があるのをご存知でしょうか。
特に、従業員(または元従業員)から残業代を請求された場合、労務管理の状況によっては経営を揺るがしかねない事態に陥ることも。
労務トラブルが複雑化・増加する中でリスク対策を徹底する必要があることを考慮すれば、タイムカードに頼りすぎる勤怠管理は見直す時期に来ています。
そこで今回は、タイムカードだけで勤怠管理している企業が残業代の請求を受けた場合のリスクについて、社会保険労務士法人 わかさ合同事務所代表社員の西村篤志先生に解説していただきました。
【監修・解説】
<西村篤志先生>
社会保険労務士法人 わかさ合同事務所代表社員、社会保険労務士(特定付記)。大学卒業後、税理士法人に勤務したのち同事務所開業。岡山を拠点に、東京、大阪、香川、宮崎でも支社を展開し、1000社を超える顧問契約先への人事・労務管理の相談や指導に尽力する傍ら、労使間の紛争解決手続代理業務を行う代理人(社会保険労務士・特定付記)としてさまざまな事案に携わる。著書(共著)には「不当な残業代請求のことならこの社会保険労務士に任せたい」(酒井書店)があるほか、医療従事者向け月刊誌や経済情報誌などでも人事労務関連の解説を担当。商工会や企業のセミナー講師も務める。
タイムカードだけで勤怠管理するリスクとは?
<導入コストが安価、誰でも簡単に使える手軽さが魅力のタイムカード。いたるところでDX化が進む中でいまだに根強い人気があります。特に地方の中小企業ではその傾向が顕著ですが、タイムカードだけで勤怠管理することには大きなリスクが潜んでいるといいます。>
―タイムカードを利用している企業は中小企業や零細企業に多く、特に地方都市の企業はその傾向が強く出ています。また、東京や大阪といった都市部の企業でも、社内のITリテラシーがさほど高くない場合は勤怠管理ツールではなく、タイムカードを選択していることがあります。
こうした企業の多くは、タイムカードをあくまで「出・退勤の確認」を目的に利用しており、タイムカードで労働時間を管理しているわけではない場合が多いです。
実際、タイムカードの打刻時刻は出勤・退勤時間であり、厳密には始業・終業の時刻である労働時間の記録とは言えません。
では、労働時間はどのようにして把握しているのでしょうか。
この点について尋ねると、ほとんどの企業はタイムカードに打刻させることしかしておらず、正確な労働時間を把握していません。
この状況のままでは、従業員と企業が争いになった場合、企業が労働時間を適切に管理する義務を怠っているとみなされかねません。
確かに、「タイムカードの記録≠労働時間」との認識は実務においては一般的です。
しかし、残業代請求事案においては、タイムカードの他に労働時間を確認できる資料やデータがなければタイムカードの記録が労働時間をある程度正確に反映するものと推認されてしまい、企業にとっては想定外の残業代を支払わなければならない事態になってしまうのです。―
無許可残業であるにもかかわらず残業代を請求する従業員。企業は残業代の支払いを拒否できるのか?
<使用者(企業)の指揮命令なく行われた無許可残業。企業としては頼んでもいない残業で残業代を請求されるのは心外であり、支払い請求を拒否したいところ。普段から定時退社を奨励していたような企業であればなおさらですが……>
―原則的に、労働時間とは、使用者(企業)の指揮命令に基づき労務を提供する時間のことを指します。したがって、本来、所定労働時間以外に労働する場合は使用者の指揮命令に基づかなければならず、残業代も「納期が迫っているからしばらくの間は定時後も働いてほしい」等といった残業の明示が使用者からあるとき、または従業員から残業申請を受けて使用者がそれを事前事後に係わらず承認し、実際に労務を提供しているときにはじめて発生するものです。無許可の残業はこのような使用者の指揮命令なく、従業員が勝手に行う労働になるため、企業としては「無許可残業であり、残業代の支払いを拒否する合理的な理由がある」と主張したいところでしょう。
一方、従業員としては「残業命令、もしくは残業申請を許可する旨の明示はないものの、それに近い指示があった」「誰が何も言わずとも、残業しなければならない状況だった」などと主張して残業代を請求してきます。このとき、従業員が残業代を請求する根拠として手にしている証拠の一つがタイムカードです。ここには残業した際の出・退勤時間が打刻されています。
このような場合、従業員は残業しなければならなかった「緊急性」「必要性」「相当性」を立証し、また、その残業時に行った業務の内容(成果物)を提出することになります。
ここだけ見ると、企業側が有利となり、残業代の支払を拒否できそうに思えるかもしれません。しかし、実務では仮に従業員が上記のような点を立証できなくても、タイムカードの他に労働時間をうかがい知れる資料やデータ等の証拠がなければ、タイムカードの記録から労働時間が推認され、残業代の請求が認容又は割合的に認定されてしまうことが、実際は多いのです。
なぜなら、企業が労働時間を正確に反映しないタイムカードだけで勤怠管理したというある種の“過失”が加味されますし、裁判になると労働者の主張が認められやすい傾向があるからです。
こうしたことから、実務の現状を知る者として、タイムカードに出・退勤時刻を打刻させるだけの勤怠管理はおすすめしません。
もちろん、無許可の残業における残業代請求事案すべてにおいて従業員の請求が認められるわけではありません。
企業独身寮の管理・調理業務を住み込みで行っていた従業員夫婦が使用者である企業に残業代の支払いを請求したニッコクトラスト事件(東京地判 平成18.11.17)では使用者の指揮命令の範囲を超えて行った行為(残業)として原告の請求が認められませんでしたし、残業代請求とは違いますが、会社の指揮命令に反して内勤業務のみに従事した従業員の賃金カットを認めた水道機工賃金カット事件(東京地判 昭53.10.30))などもあります。
しかし、この2事案のように企業側の主張が認められるパターンは非常に稀だと言って良いでしょう。タイムカードの改ざんや不正打刻、職務懈怠など、従業員側に明らかな落ち度がない限り、従業員の主張が認められやすい現状はぜひ知っておいていただきたいところです。―
一人800万の支払い認定も!残業代請求訴訟に発展した場合は高額化する可能性大!
<労働基準監督署の調査・是正勧告の段階で解決せず、訴訟に発展した場合は残業代の認定額が大きく変わってくるといいます。>
―労働基準監督署の調査が入り、従業員の主張通り残業代を支払うことになったとします。労働基準法の改正により、賃金債権の消滅時効は暫定的に2年から3年に延長されましたが、使用者側が残業代の未払いがあると認めた場合は、従業員からの申告案件でない限り実際は3年分遡ることはあまりなく、3ヶ月~6ヶ月分の残業代の支払いとなることがほとんどです。
しかし、労働基準監督署の調査・勧告の段階で解決せず、従業員が残業代請求訴訟を提起した場合、時効の3年分まで遡って高額の支払い義務が生じる可能性は十分考えられます。また、労務管理が杜撰で悪質だと認定された場合は付加金(民事的制裁措置の一種)により認定額が倍になることも。私が知っている事案でも訴訟で800万円(従業員一人、付加金込み)の支払いが命じられていますから、残業代にまつわるトラブルは本当に甘く見てはいけません。零細企業であれば経営を揺るがしかねない打撃となるでしょう。
労務管理の欠陥を指摘されないよう、現在タイムカードだけで勤怠管理している企業は別途対策が必要です。―
タイムカードによる勤怠管理で残業代トラブルを誘発しないための対策とは?
<残業代請求事案においてはタイムカードの記録を一根拠とし、その記録が労働時間として推認されることが多い現状をふまえると、たとえ出・退勤の確認を目的とするものであったとしても、タイムカードだけの勤怠管理は大きなリスクとなります。そこで、企業がタイムカードを引き続き利用しながら残業代請求のリスクを回避したい場合は、どのような対策を講じるべきなのでしょうか。>
就業規則でタイムカードの定義を明確にし、他の勤怠管理方法と併用する
―前述の通り、タイムカードだけで労働時間の把握は不十分ですから、企業が許可した残業だけ認める残業事前申請制、パソコンの使用時間から始業・終業時間を記録できる勤怠管理ツールを導入する、といった他の勤怠管理方法も併用しましょう。
そのうえで、就業規則内でタイムカードの定義(利用目的)を明確にすることが重要です。具体的には、「タイムカードは出・退勤の確認を主な目的とするが、労働時間管理の一資料としても扱う。このほか、残業申請書(または勤怠管理ツール)の記録も併せて労働時間を把握する」といった具合です。
思い切って勤怠管理ツール一本に絞るのも得策
タイムカードと他の勤怠管理方法の併用が面倒である場合は、思い切って勤怠管理ツール一本に絞るのも得策でしょう。こうしたツールを導入しなくても、業務で使用するパソコンのログ(使用・通信履歴)を確認することで労働時間を把握できますが、IT機器の操作に詳しい人材が社内にいない場合はおすすめできません。
最近の勤怠管理ツールの中には始業・終業時間だけではなく、オンラインによる残業申請や業務内容を可視化できるものがあるので、より中立的・客観的な勤怠管理が可能になります。
特に業務内容の可視化機能は、雇用契約の本旨に従わない業務(本来の業務とは関係がない仕事)をしていることが強く疑われる従業員から残業代を請求された場合において企業側の有力な証拠となりますから、労務トラブルによるリスク対策としては非常に有効です。これは雇用契約の本旨に従わない業務による隠れ残業(一度打刻した後、または企業に申告せず残業すること)の請求に対しても、企業側の反証手段として大いに役立ちます。
人材派遣企業の元従業員がタイムカードの記録を根拠に残業代を請求したアイスペック・ビジネスブレイン事件(大阪地判 平19.4.6)では、タイムカードの記載に虚偽があったことのほか、雇用契約の本旨に従わない業務をしていたことが判明した結果、タイムカードの信憑性が否定され、残業代請求も認められませんでした。―
リモートワークの勤怠管理には勤怠管理ツールの導入がおすすめ
<最近ではリモートワークを推奨する企業も増えていますが、今までタイムカードを利用してきた場合は、勤怠管理方法の再検討が必要になるといいます。>
―リモートワーク体制になる場合、当然ながら物理的にタイムカードを打刻できません。しかし、だからといって会社にいる第三者に対して始業及び終業の打刻をお願いするのも非常に面倒です。しかも、この方法では第三者への打刻依頼について、始業・終業時間がタイムリーに伝達されているか否かの疑問が残ることとなり、正確な労働時間の把握につながりにくく、場合によっては過分に賃金を支払うリスクが会社側に生じます。
ですから、多くの企業はおそらくメールやチャット、またはエクセルファイル等に始業・終業時刻を記入させる自己申告制の採用を検討するかもしれませんが、厚生労働省による「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関するガイドライン」では、他の手段を利用できるにもかかわらず自己申告制を採用し、かつ適正に運用していない場合は行政指導(指導票)の対象になります。したがって、労働基準監督署の調査が入った際は心証が悪くなりますから、タイムカードだけの勤怠管理と同様、おすすめできません。リモートワークには勤怠管理ツールによる管理が適しています。―
残業代請求事案は今後さらに増加へ!企業が注意すべきこととは?
<労働者の権利意識は年々高まっており、この傾向は残業代請求事案の増加という形でも表れています。しかし、原因は権利意識の高まりだけではありません。>
弁護士業界内の競争激化も業代請求事案の増加一因に!?
―以前は労働基準法で定められた賃金債権の消滅時効は2年でしたが、2020年4月1日より、当分の間暫定的に3年へと伸長されました。これに伴い、弁護士業界では残業代請求にまつわるサービスが大々的に展開されることが予測されます。というのも、残業代請求の手間と報酬面を考慮したとき、従業員(依頼人)が持ち込んだタイムカード通りに計算して請求することは弁護士業務の中でも比較的簡単なものであるうえ、ある程度の利益が見込めるからです。そして、弁護士業界ではクレサラバブルが終焉を迎えつつある今、弁護士業界内での過当競争が激しさを増していますから、この”商機”を逃すはずがありません。すでに大手弁護士法人が残業代請求の広告を続々と出し始めており、弊社の顧問先様のもとにも弁護士からの残業代請求にかかる内容証明が以前に比べ多く届くようになりました。
賃金債権はそう遠くない将来5年に伸長されます。(現在暫定的に3年となっているのは時効伸長による社会的混乱を避けるため)そうなると、弁護士業界も残業代の請求に一層力を入れるでしょうから、今後は今まで以上に残業代請求事案は増えていくものと思われます。
残業申請書と勤怠管理ツールの記録の齟齬に要注意!
そういった流れに飲まれないようにするためにも、繰り返しになりますが、
- 1. タイムカードと勤怠管理ツールを併用する、もしくは勤怠管理ツールに切り替える
- 2. 残業事前申請制とし、所定労働時間を超えて労働する場合は事前に残業申請書を提出させて、残業する必要性の有無を判断した上で承認し、残業時間を把握する
- 3. タイムカード、勤怠管理ツールを利用する場合は、労働時間の定義を就業規則に明記する
以上3点を普段から確実に行いましょう。
1と2については残業申請書と勤怠管理ツールの記録に齟齬が生じていないことが重要です。齟齬が生じている場合、その齟齬が労働時間か否か(滞留時間であったか否か、労働する必要性のない時間であったか否か)を従業員に確認し、労働時間を修正する必要があれば修正するといったことを繰り返し行う必要があります。―